ねらわれたジャイアント

映画:独裁者と小さな孫

独裁者と小さな孫
という映画を見てきました

あらすじ

架空のある独裁政権の国でのお話。
この国の大統領は圧制を敷いていて
毎日のように出る政治犯を処刑して人々を苦しめていたところ
とうとうクーデターが起きて国を追われることになります。
家族はすんでのところで国外に避難させましたが
大統領と孫の男の子の二人だけが取り残され
国の中で追手の目を避けながらなんとか逃げようとします。
そこで混乱する国の様子を見ることに…というお話です。

逃げ延びる大統領と孫の2人の視点で進みますが、
大統領は、今までの自分が治めた国がどんな国だったか
それがクーデターによりどれだけ混乱しているか
を見ることになります。

行く先々に掲示された大統領のポスターは
昔は政権の象徴でしたが、クーデター政権に指名手配された今では
それがある場所では顔を隠さなくてはいけません。
そして身分を隠している為に、目の前で何が起きていても助けられず
結果自分の行いを悔やむようなものを行く先々で見ます。

一方で孫は、それまで「殿下」として育ってきました。
おじいちゃんを「大統領」と呼ぶよう育てられ、幼馴染の貴族?の女の子と
ダンスをして遊ぶのが好きだったのですが
革命が起きて大統領と二人で逃げ延びてもう会うことはできません。
「大統領」は自分のことをもう大統領と呼ぶなと言い
自分達は旅芸人のおじいちゃんと孫と名乗るように言います。
当たり前だった暮らしがすっかり過酷な旅になり、
「誰もが敬う大統領」だったはずの大統領が皆から嫌われ
今では命を狙われている立場だということがなかなか理解できません。
今までの価値観では信じられないことだからです。

旅の中で、大統領は恨みの連鎖について考えます。
自分が恨まれて当然のことをしたことと
そして自分が恨むような相手だろうと
自分に非があったなら、あるいは恨みを晴らしてもどうにもならないなら
その気持ちはしまい込んだ方が良いんじゃないか
ということです。

映画は最終的に、この「復讐の連鎖」というテーマについて
観客に投げかけるかたちで終わります。

感想

この映画で見せ方が新しいなと思ったのは
大統領(と孫)が視点というのと
革命軍側をあまり善人的に見せてないところです。
本編では「孫を心配するおじいちゃん」という感じですが
語られる内容では確かに恨まれるようなことをやってきた人で
ドメスティックな面とダーティな面の両面のある人として描かれてます。
革命軍も同じく、悪い独裁政権を倒したけれども
決して善人の集団ではなくむしろ恐ろしいごろつきとして、
とても孫には見せられないようなことをやっちゃう連中で
どちらも相対的に描かれています。

だからこそ「復讐の連鎖は止めなくてはいけない」
「人はどこかで許さないといけない」というテーマが立つように感じました。
テーマを伝えるという点で、終わり方が
「これでどうするかはあなた達が考えなさい」と投げかけてるように思えます。

また、大統領だけでなく孫が居るというのもキーで
行く先々でとても子供には見せたくないものが色々出てくるんですが
それらも結局は大統領が今まで治めてきた国が崩壊したからで
大統領とそして革命軍がやったことです。
だから「こんなものを子供に見せていいのか」という
問いかけを何度も何度もえぐってくるのがよくできた構造だと思います。

字面は重いけど、そんなに重い映画ではないから見てみて頂きたいです。

政治犯が村に帰るくだりはもう聞いててオチが予想ついちゃって
居た堪れなさ過ぎて少しウケました。

しかしマリア達の貴族一家どうなったんだろう…

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>